Pages

2016年12月23日金曜日

呪詛について

2016年も残すところあと数日となりました。
このブログもしばらく更新していなかったので、最近の出来事など整理してエントリして、このブログの今年の締めとします。

当方の英語名KenOkabeについて「毛の壁」などと、侮辱し、一貫して集団的に率先してネット上で悪劣な攻撃を継続してきた、ちくわ(@tikuwa_ore=@tikuwa_zero)こと芦田真一ですが、くだらない【ネット活動】の生き甲斐みたいにしていたTwitterまとめサイトTogetterより無事に追放されたようです。
事細かな経緯については下記にまとめられているのでご笑覧ください。

コメント凍結処分逃れ目的でTogetterアカウント管理システムを悪用したアカウントロンダリング tikuwa_zero
https://togetter.com/li/1042093

夢は「まとめマイスター」!!Togetter荒らし「ちくわ」の変遷と末路
https://togetter.com/li/1042515

Togetter荒らし「ちくわ」を厳しく監視して共同管理してゆくためのガイドライン
https://togetter.com/li/1042928

Togetter運営処分逃れの不正なアカウント・ロンダリングを繰り返す、荒らし「ちくわ」の惨めな逃亡生活
https://togetter.com/li/1044215

ID追跡され特定されたTogetter荒らし「ちくわ」、追い詰められた挙句、Twitterでも順当に荒らして本領(本性)発揮中
https://togetter.com/li/1044571

Togetterでナリスマシの荒らしをしながら動けてないのに精一杯の「まだ動けてますよ」とアピールをしたい「ちくわ」
https://togetter.com/li/1044664

Togetter荒らし「ちくわ」、他者のナリスマシ&嫌がらせ&荒らし行為を糾弾された挙句、「応援アカウント」爆誕!!言い訳かましながら順当に荒らし行為を続行中
https://togetter.com/li/1045233

『毛につきまというのは俺にとってはエクスタシーなんだよ。シャブキメ射精よりもきもちいい だから今後も俺のライフワークさ。』Togetter荒らし「ちくわ」が強制コテハン2chスレで自作自演を告白
https://togetter.com/li/1050966

また、Togetter上での投稿を封じられた挙句、以上のまとめに紐づくHatenaブックマークコメントにてなお誹謗中傷活動を継続したかったようですが、それについても当方からのHatena運営への通報により非公開処置にされており、すでに閲覧不能となっています。

さて、やたらめったら「毛の壁」「毛の壁」と馬鹿の一つ覚えの如く、あるいは当人らにとってみれば伝家の宝刀を振り回してるつもりなんでしょうが、これについて処理しておきましょう。

「毛の壁」という「仇名」については

http://twilog.org/tikuwa_ore/hashtags-%E6%AF%9B%E3%81%AE%E5%A3%81/allasc

2011年09月01日(木)2 tweetssource



というように、「ちくわ」がTwitterハッシュタグを悪用して「命名」したものですが、これはTwitterハッシュタグを悪用することで、トピック化することが可能です。
つまり、攻撃対象へ、くだらない連想による「仇名」を「命名」し「トピック化」することができる。オレ一人じゃなくてみんなでこの人物を「ヲチ(Watch)」して袋叩きしましょうや、いうように集団的な攻撃をお膳立てすることができます。

世間ではネットでのこの手の集団攻撃、Abusingが問題となっており、Twitterでもディズニーから買収を放棄されたりした後ようやく真摯にこの辺のAbusing禁止ルールが厳格化してきたようですが、まあその手のよくあるネット上の誹謗中傷犯(Abuser)が好む攻撃手法としての悪弊のひとつです。

社会的にこの手の集団による個人叩きが是認されていないように、被害当事者である私自身もこんなものは是としていません。「毛の壁ガー」だの言われて、はいそうですか、それが私の名前ですね、となっているはずもない。認めてはいませんし、2012年に刑事告訴した際にも、この「仇名」をもって侮辱していることは警察、検察へ向けて違法性をもって訴えました。結果、不起訴(起訴猶予)となりましたが、法的には告訴要件である侮辱事実は認定された上での猶予処分であり、外形的には公的に、法的に違法性を申し出ています。

「ちくわ」は、この動きを察知するや否や、表面上は「ちくわ」名義のアカウント、つまり芦田真一とつながるネット言動では「毛の壁」と発言することはしばらく自制していました。明らかに刑事責任を追求されることを恐れていたからです。
しかし「もう大丈夫だろう」と勘違いしているのでしょう、近年になってまたあからさまに自分のアカウントと紐つけてそのように侮辱を再開しました。
これについては逐一証拠をスクリーンショットにとって記録保存もしていますし、上記Togetterでの公式な排除は私からの苦情が認められたからでもあります。
当然のことながら法的に「もう大丈夫」なわけがない、ということと、それと並行しながら過去にプログラミング関係で論述した「精神論」のことを当面書いておこうと思います。

攻撃対象を貶めるためにつける「仇名」は何も対象が個人に限ったことではありません。2015年あたりに私が語る関数型プログラミングの哲学的考察について、かけられた「呪詛」は「関数型ポエム」でした。それを引用しておきましょう。
引用ココから

逐一「ポエム」とレッテルをはり、侮辱する人は「いったいぜんたい何をやりたい」のでしょうか?

「呪詛」である「呪い」である、「怖い」から滑稽な「おことわり」「お札」を貼りまくる人たち

端的に説明しましょう。
技術記事に「ポエム」とレッテルを貼ることは、相手の言説に「呪詛」「呪い」を加えることです。
「ポエム」とレッテルを貼ることで「呪いをかける」ことができ、相手の言説に、なんとなーく嫌な雰囲気を与えることができる。

「関数型ポエム」そして、民族神道の精神に基づく「呪い返し」

もちろん連中からは、「関数型ポエム」という「蔑称」の「呪い」がかけられました。
そこで、今回、せっかくですからこの記事で、「呪い返し」をしてみたいと思います。
われわれ日本人は民族的に根本的には神道信者です。
聖徳太子の時代以降、学問とともに大陸から伝来した仏教が、
「神道vs仏教」の壮絶な宗教戦争の結果、勝利し、神道を圧倒しましたが、
根本では我々日本人の精神には神道が今も受け継がれています。
われわれ日本人は、お正月には初詣をすることが大好きですし、
神社で購入した、家内安全、恋愛成就、商売繁盛、交通安全、いろんなお守りを大事に携帯している人はとても多いと思います。
バチがあたる、という考え方にも馴染みは深いです。
家の宗教は密教であり、葬式は仏教の作法にのっとり粛々と行われますが、
母親の家系は神道の神主の家系です。
母親の実家には、仏壇、そして、かなりしっかりとした大きな神棚が双方別々に祀られています。
実は、私が読書の習慣があるのは、母親の家系の影響で、母親の実家の屋根裏部屋には膨大な書籍があります。
ちなみに父親の家系は、祖父は外資系の技術者(高給取りであったらしい)で、私が技術系、理系であるのは、その家系の影響です。
私は情報技術者ですが、母親の神道家系の血が流れていますから、多分、「呪い返し」の「神通力」も多少なりとはあると思います。たぶんね。
我々日本人の精神的土壌は神道であるので、「穢れ」を嫌います。
「呪われれる」ことを忌み嫌います。
「ポエム」とレッテルを貼るものたちは、同じ精神的土壌を共有するが故に、そういう、相手が忌み嫌うことを嬉々としてやっているわけですね。
相手が忌み嫌う、と理解している、ってことは、とりもなおさず、自分がやられた忌み嫌う、ってわかっているからだ。
同じ精神的土壌を共有しているから。
え?違う?じゃあ、君たち、なんでそんなしょうもないことやって嬉しいのでしょうか?
「呪い」が効力を発する精神的プロトコルを共有している自覚があるから。
精神的土壌を共有する、精神的プロトコルを共有している自覚がないならば、
「呪い」なんてなんの効力ももちません。ただの無味乾燥な言葉の羅列にすぎません。
「ポエム」と書くことにより、他者の自由な言説にたいして、「呪い」をかけるわけですが、
それが「呪い」である以上、同じように「呪い返し」をすることは極めて容易であり、
それは相手が同じ神道の精神的土壌を共有してさえおればよいわけです。
そもそも、誹謗中傷に勤しむ性向をもつ集団のメンバーはすべてもれなく他人に不当な「呪い」をかけて喜んでいるような異常な集団ですから、「呪い返し」というのは大きな効果があります。

言葉の暴力、呪いが横行するHatenaブックマークのコメント

特に、無責任な文責を負わない匿名の書き捨て、言葉の暴力、呪いが横行するHatenaブックマークのコメントを書き込むものに対して、この呪いを返します。
このエントリにたいしても、「ポエム」だと呪いのワードを書けば良いでしょう。
いくら屁理屈をこねても無駄。
それはそのまま「呪い返し」が自動的になされるようになっています。

「呪い返し」の絶対的アドバンテージの理由 それは「論理」の「宣言」にすぎない「関数」という装置だから

「呪い返し」の良い所は、「言葉の応酬」にならなくて済むところです。
「呪い返し」とは、命令形プログラミングの「手続き」あるいは「命令」ではなく、
「論理」の「宣言」にすぎません。いわば関数型プログラミングの「関数」です。
撃たれたら、逐一撃ち返すという「行為」の連続ではなく、
そこに「鏡」をポンとおくだけの、「論理」の「宣言」をしてやる。
ただそれだけです。
あとはその「鏡」が「入力」に呼応した「出力」を自動的に返します。
エネルギーはすべてその「入力」に依存しており、自身まったくエネルギーを必要としない、装置にすぎません。
やるな、やってはいけない、と咎められれば、余計やりたくなるのが、幼児的な衝動を抑えきれない彼らです。試みてもこっちが疲弊するだけ。
でも鏡を、論理的な巨大な鏡を宣言するだけなら、手間はかからない。
いくらでもやれ、それは「逐一もれなく呪い返される」ということです。
「呪い返し」とは、あくまで邪な「呪い」を撥ね返す受動者の防御行為であり、
呪い返すほうにリスクはまったくありません。
自発的に邪な動機で「呪い」を返すもの自身にたいして「自業自得」の道理を通すための術であって、「呪い返し」の「呪い返し」は原理的に成立しないからです。

人を呪わば穴ふたつ

一方で、「呪い」をかけるものには多大なリスクがあります。
「人を呪わば穴ふたつ」
この言葉を聞いたことがある人は多いでしょう。人に呪いをかけるとろくなことにはなりません。
この言葉は、まさに不当な「呪い」が「呪い返し」によってどのような顛末になるのか説明している言葉です。

実践!やってみよう!「呪い返し」

では、このエントリでは、その「ポエム」と「呪いをかける」すべての愚かな人々に呪い返しをしたいと思います。

プログラミングの世界で、「ポエム」とは、「ガラパゴス・ネットラング」であり、この言葉を優越的気分から侮蔑的な意味で、これまで用いた、そしてこれから用いるものは、まもなく必ず、世の中の侮蔑の対象となる、また周到に「ポエム」という言葉を避けながら、同じ立場で行為を支援し続ける同族に対しても、以上と同じ呪い返しの効力がある

「呪い返し」とは、論理性と正当性、つまり道理が必要とされます。
このエントリでは、すでに、その道理を説明しました。

引用ココまで

ということで、このブログの2016年の締めくくりとして、
上記とまったく同じこと、すなわち、

呪い返しを、ちくわ、及び、ちくわに類するすべての当方へ呪詛をもって攻撃する人間に適用することを宣言します。
「毛の壁」および、その他一切の当方を侮辱する意図をもった呪詛の仇名、言説について、もれなく呪い返しを今後永年に渡って発動し実行します。

それでは皆様よいお年を。